無事お葬式が終わりました。ばあちゃんはとても綺麗な安らかな顔をしていていました。位牌の写真もすごく綺麗だった。

書ききれないくらい色んなことがあった。

ばあちゃんは病気で寝ているだけでも全身が痛くて、痛み止めもなかなか効かず、段々ご飯が食べられなくなり、最後には話すことすら困難になりました。

緩和ケアしてるはずなのにどうしてあんなに痛みが強かったんだろう。

夏に会ったときは普通に話せたし歩けたしご飯も食べられたのにあと2~3年と言われたのに、入院してからは急速に弱っていきわずか2ヶ月で亡くなった。

副作用が強かったと言われればそれまでだけど、、治療を選んでも痛みが伴い、緩和ケアを選んでも痛みがあるのなら、一体どうすれば良かったんだろう。

呼吸がとまったときも人工呼吸もされなければ心臓マッサージもなかったみたい。家族として見れば一日でも長く生きて欲しいけれど、余命わずかで痛みから解放されたいと願って苦しんでいるひとにそんなこと言えない。でも奇跡が起こってほしいとも思ってしまう。

本人が病気になった姿を見られたくなかったため、お見舞い出来たのは子供と孫たちのみ。俺は亡くなる数日前に会えただけ良かったのかもしれない。

小さいときからずっと苦労してきたばあちゃん。でも亡くなる前に「みんながたくさん顔見せに来てくれた。色々あったけれど、自分のしてきたことは間違っていなかったんだと思った。本当にオラは幸せもんだ」と言ってたみたい。


●弔辞●

式当日の午前2時に眠っていたらイトコに起こされ、弔辞を孫全員で読もうと急きょ伝えられました。当初は、親族で発言力が強い人の意向で、一人だけが代表して読む予定だったんですけどね。

でも、じいちゃんのときは全員で読んだし、ばあちゃんもきっと喜んでくれるんじゃないかと思ったし、何よりも自分たちが悔いを残さないためにも、4~5時までみんなでそれぞれ文を考えました。

そのため、当日孫たちは全員体調不良(苦笑)。しかも俺は最年少でトリだったためものすごいプレッシャーで朝ごはんが食べられず…。

式は順調に進み、弔辞になったとき、孫全員の名前が呼ばれたので、大人たちは「???」とざわついていました(笑)。

みんなの弔辞がとても気持ちがこもっていて、何度も泣きそうになった。でも、じいちゃんのときは読むときに泣いてしまったので、今回は泣かないよう堪えて、大きな声で陰気くさくならないように言いました。

他のみんなも、泣かずに無事に読みました。孫だけで勝手に決めてしまい大丈夫だったかなとちょっと心配になりましたが、おじさんおばさんたちが喜んでくれたし、もしやらなかったら後悔していたのでやって良かったと思います。

●孫の顔●

無邪気にはしゃぐイトコの子供たちがみんなの悲しみ、特に自分の母親を亡くしたおじさんおばさんたちの悲しみを癒してくれている気がして、「孫の顔を見せるのは親孝行」って本当なんだなと感じました。この子たちがいるおかげで、式以外は笑顔の時間が多かった気がします。

ゲイである俺には一生出来ない親孝行。子どもが出来ない分、人一倍親孝行をしていかねばと思います。

●お坊さん●

葬式にやってきたのは、やる気がないお坊さん。納骨のときも墓に行かずお茶飲んでいたし、じいちゃんの三回忌のときも「何百万もする寺の鐘を安く買えて得した話」を延々と話して真面目な話はゼロ、ただお経を読むだけでした。

こんなお坊さんに大金払うくらいだったら、自分のときはお坊さんは呼ばないで、その分のお金で残されたたひとたちで美味しいものでも食べてもらいたいです。

~~

たくさんの方が集まってくれて、みんなで見送ることが出来て本当に良かった。

悲しいことには変わりないけれど、いつもの日常がはじまって、またいつもの自分に少しずつ戻りはじめている。

ばあちゃんとの思い出を大切にしつつ、ちゃんと前を向いて、一日一日を大切に生きていきたい。

そして、ばあちゃんのように周りのひとたちへ優しさをあげられるような生き方を出来たらいいな。

言葉にするのと実際そうするのは違うけれど。。

以上!

おっつー!
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